SUBARUを倒産の危機から救った偉大なる功績。レガシィセダン 起死回生の期待をかけて生まれた初代レガシィ

1989年、当時経営上の厳しい局面に立たされていた富士重工業が、起死回生を期して世に送り出したのがハイパフォーマンスセダン「レガシィ」でした。

その頃富士重工業は、アメリカ向け輸出の好調さの陰で、組織としての柔軟さが徐々に失われ、新しい製品の開発が滞り旧式化が進んでしまっていたのです。

富士重工業の小型乗用車の歴史はそこから始まった

富士重工業の小型乗用車の歴史は、1966年5月にデビューしたスバル1000で始まりました。水平対向四気筒997cc、55ps/6000rpmのエンジン。当時珍しかったFFレイアウト。もともと航空機を作っていた同社の技術を投入して造り上げられたスバル1000は、その性能はもとより1500クラス並の広い車内などが支持され、一部で熱狂的なファンを獲得します。彼らこそが後に「スバリスト」と呼ばれる人たちです。

しかしスバル1000の優れたプラットフォームはその後、同社の開発にかかる姿勢の上に「これを踏襲しつつ改良を重ねていく」というレールを敷いてしまいます。実にこの1989年に至るまで、同社の自動車開発に対するある意味「足かせ」になってしまったと言えるのかもしれません。進化の著しい自動車、特に普通乗用車の世界で、どうしても隠せない基本設計の古さなどが響き、徐々に競争力を失っていったのです。

レガシィはその長年培ったプラットフォームを離れ、完全新設計で造り上げられました。全長4540mm、全幅1690mm。ほぼ5ナンバー枠一杯の完全新設計のボディは、ウエッジシェイプを基本にブリスターフェンダーを配したスタイル。各ピラーはブラックアウトされ、グラスエリアが連続する航空機イメージでまとめられています。デザインは一部でジウジアーロと言われていますが、実は完全社内デザインです。

レオーネ同様、レガシィには4WDモデルとFFの2WDモデルの展開でした。また、それぞれに5速MTと4速ATが用意されていました。4WDのMT車では1.8LのMiのみセレクティブ4WD、その他がフルタイム4WD。RS系とGTはリアのデフにビスカスカップリングタイプのLSDが装備されていました。

4WDのAT車には、前後輪のトルク配分を自動的にバリアブルに変化させる「アクティブ・トルク・スプリット4WD」という機構が組み込まれていました。前輪6、後輪4のトルク配分を基準に、車速や回転差、スロットル開度等を検出し、油圧式多板クラッチ「MP-T」で制御する高度なシステムです。フロントサスペンションはコイルスプリング式ストラット、リアサスペンションはラテラルリンク付きのコイルスプリング式ストラットが採用されました。

それまで富士重工業では、テストドライバーをはじめ開発チーム全員の意見を取り入れてハンドリングのセッティングを決めていましたが、このレガシィは車両研究実験部のドライバー辰巳英治氏が一人で担当しました。テストコースはもとより、世界中の様々な道路を実際に走り込んでセッティングを煮詰めていったのです。これは同社として初めての試みでした。また、以降の自動車の開発においての新しい流れになりました。

レガシィRSは、その優れた走行性能で1990年から4年間WRCにも参戦しました。1993年のニュージーランド・ラリーでは、あのレジェンド、コリン・マクレーのドライブで優勝を果たしています。なお、初期型のレガシィセダンは「アスカCX」としていすゞ自動車へOEMされていました。

名エンジンEJ20と10万km連続走行世界速度記録

レガシィの発売に先立つ1989年1月21日、アメリカのアリゾナ州フェニックスにあるハイスピードテストコース「アリゾナ・テスト・センター」で、一つの偉大な記録が達成されました。10万km連続走行世界速度記録。砂漠の中の、一周9.182kmのテストコースを延々と1万890周。給油とメンテナンスを重ねつつひたすら走り続け、そのピットストップ時間も含めた全ての平均速度が記録になります。

これまでの最高記録は1986年にサーブ9000ターボがマークした平均速度213.299km/hでした。1988年12月に密かに空輸されたレガシィは、連続19日間、447時間44分で10万kmを走りきり、223.345km/hという大記録を樹立したのです。これに参加したメンバーは150名、うちドライバー21名。全員が富士重工業の社員でした。事前に国内のテストコースで高速ドライブの特訓を重ねて本番に挑んだといわれています。発売前のレガシィは極秘でしたから、外部のドライバーにハンドルを託すわけにはいかなかったのです。

速度性能、操縦安定性、耐久性。大記録達成のためにはもちろん優れたトータルでの性能が必要ですが、特に大切なのはその原動力を生み出すエンジンでしょう。

レガシィのために開発されたのは、完全新設計のEJ型「EJ20」。シリンダーブロック、ヘッド共にオールアルミ合金製。ペントルーフ型の燃焼室の真ん中にプラグを配置したクロスフロー式4バルブヘッドを採用。5つのベアリングで支持されたクランクシャフト、ハイドロリックラッシュアジャスターを備えたバルブ開閉機構。電子制御燃料噴射装置と電子制御点火方式によってコントロールされる当時最新式のエンジンでした。
シリンダーのレイアウトははもはや富士重工業のアイデンティティとも言える水平対向4気筒。タイミングベルト駆動のDOHC4バルブ、ボア92mmストローク75mmのショートストロークタイプで、排気量は1994ccでした。

直列式に対して部品点数が増え、重くなりがちな水平対向エンジンは、一方で理論的に一次振動が発生しない、ヘッドがクランクと同じ高さにあるので重心が低くなるなど、有利な面も多くあります。EJ20はピストンスピードが低く抑えられるショートストローク設計で、高回転で振動の少ない滑らかかつ精緻なフィーリングを伴った高出力を可能にしました。特にRSグレードに搭載されたターボチャージャー付きEJ20エンジンは、当時2000ccクラス最強の220psを発生したのです。

このエンジンはその後非常に多くのアップデートを重ね、パワーアップと洗練の度合いを高め、30年にわたってスバルのフラッグシップ車やスポーツ車に搭載され続けます。

2019年末、WRX STIに搭載されるのを最後にEJ20は生産を終了します。この30年間にわたって改良され続けてきたたEJ20は最終的に308ps/6400rpm、43.0kgf.m/4400rpmという、2000ccとしては信じられないようなパワーを発揮するエンジンになりました。これはエンジニアの努力に加えて、基本設計の確かさ、未来を見据えて余裕を残した耐久性のなせる技でしょう。
間違いなく平成の名エンジンだったといっていいでしょう。

参考:スバルレガシィの買取専門ページ!

現在、中古車市場でのレガシィセダンは?

レガシィセダンは、その後のB4以降のモデルと区別すると、1989年から1993年までの初期型、1993年から1998年までの二代目に分けられます。既にどちらも20年以上前のモデルですから、中古車市場でもタマ数は多くありません。また、ツーリングワゴンの人気の陰に隠れてセダンは比較的マイナーな存在だったということもあるのでしょう。特に初期型はかなりレアです。程度も様々と思われますが、価格も10万円台から200万円台までばらつきが大きく、大まかな動向がつかみにくい状況です。「絶対にセダン!」とこだわって探すのであれば、腰を据えてじっくりと取り組むしかないでしょう。特に人気で高騰しているということでもなさそうですので、意外とお買い得な一台に巡り会えるかもしれません。但し、少なくとも20年前、初期モデルだと30年前のクルマですので、それなりに旧車と付き合っていく覚悟は必要でしょう。

最後に、レガシィとは

レガシィとは本来「遺産」という意味ですが、同時に「未来に受け継がれるべき功績」を表す言葉でもあります。平成の時代、WRCなども戦い抜いてきたEJ20型エンジンを含め、紛れもなくレガシィはスバルの誇る未来への遺産であり、受け継がれるべき大きな功績でもあるでしょう。

[ライター/小嶋享]